ギターのとおるーが抜けてから、約1年。
その間、表立った活動は一切出来なかった。
せめてもの償いとして、ありのままの経緯と僕の心境を綴ります。
かなりの長文なので、ご了承下さい。
とおるー脱退後、どうしても4ピースでやりたかった僕等は、その穴を埋めてくれるような、新たなギタリストを探した。
興味を持ってくれた数名の方と話をしたり曲を聞いてもらったりしながら、お互いの必要性や音楽性、人間性、方向性などを探り合い、なかなかニーズが合致する事なく、ただただ時間だけが過ぎて行く。
半年前後経った頃だっただろうか、もともと知り合いだったギタリストにまーこーが打診した所、興味を持ってくれて、とりあえず一緒に鳴らしてみる事に。
とおるーが加入して4ピースになってからの9年近く、メンバーの変動は無く、他のギタリストと鳴らすのは初めてだったし、元々とおるーがアレンジしたり弾いていたフレーズを、他の人が弾いたり、その人なりのアレンジで試したりしていくのは、斬新で刺激的だったけど、良くも悪くも、上手過ぎてしっくり来なかった(笑)。
だけど、それ以上、活動出来なくなるのを懸念した僕等は、とりあえずそのギタリストに、サポートとゆう形でお願いをした。
技術力と対応力はピカイチだったから、時間を共有していけば、僕等が抱えた違和感なんて解消していけるとも思ったしね。
ところが、そんな時間も満足に持てない程に、そのサポートメンバーや僕等のメンバーが、公私共に色々とあり過ぎて(自分の事じゃないので、詳しくは省かせて頂きます)、なかなか思うように進まずにいた。
そんな矢先、兼ねてからお世話になっていた、とあるレーベルの方から、再びCDリリースの話が舞い込んで来た(実は、とおるー脱退前に一度あったが、その件がきっかけで、モチベーションの違いによる脱退への運びとなる)。
嬉しい話ではあったが、現状が現状だっただけに、メンバー間で真剣に話をした所、今度は、まーこーまでもが、音楽で食って行きたいとゆう気持ちがなくなったらしく、その話には乗れないとの事。
僕もゆうまーも、寝耳に水だった為、かなり戸惑ったが、とおるーが抜けてからの一件で、誰とでも鳴らせる音楽をやってる訳ではなく、このメンバーでしか鳴らせない音楽をやってて、それをやって行きたいんだとゆう確信を得ていたので、有り難いその話を断る事にした。
実質、受けていても、いいものは出来なかったと思う。
実は、その話を断る時に、僕のソロでやってみても面白いと思うけどとゆうお誘いもあったが、このメンバーでバンドをやるのが1番やりたい事だったので、それすらもお断りをした。
(業界内で、どうゆう形であれ、お話を蹴るとゆう行為は、業界人と関わったり裏話などを聞けば聞く程に解る事だが、死活問題で、それなりの勇気と覚悟がいる決断だった。)
バンド活動が活発だった頃にも、数回ソロでやる機会があり、その良さや、ある種の手応えを感じたので、いつかはやってみたいとゆう気持ちも持ってはいたが、バンドが在る内は、全力でバンドに集中しようと思い、ソロでの出演依頼も断って来てたし、何より、一縷の希望を捨てていなかったので、バンドが無くなる最後の最後までは諦めたくなかった。
まーこーも、バンドを続けたい気持ちはあったみたいだし、僕もゆうまーも、このメンバーでやって行く事に腹を括った。
このメンバーで、音楽で食って生きたいとゆう気持ちが捨てられなかった僕とゆうまーは、どうにかまーこーが、また同じ気持ちになって欲しかった。
悪い事が立て続けに起こって、バンドの状況も悪かったから、一緒にいい作品を作れたら、やる気も出て来るんじゃないかと思ったし、まーこーも、やって来た事を形には残したいみたいだったから、CD制作をしてみて、その時にまた一緒に本気でやって行きたいなら、そうしようとの事になった。とゆうか、とおるーが抜けてから、あと1年本気でやってみて、何の手応えも掴めなかったら、やめようとゆう話の下にやって来てたのでね。
その話が決まった時、真っ先にとおるーの顔が浮かんだ。本当にいいものを作るなら、あいつの力が必要だと思い、メンバーに相談、了承を得て、とおるーに相談。サポートとゆう形でもいいならとゆう事だったが、またこのメンバーでやれるのなら、僕にとって、その時は形なんてどうでもよかった。
またこのメンバーでやれるのかと思うと、胸が高ぶったし、もう何にも縛られずに、自分達がいいと思うものを作れると思った。
ところが、その気持ちとは裏腹に、とおるーが戻って来てくれたのはいいものの、更に色々とあって、またもや、なかなか時間が持てず、全員が揃う事が数少ない練習なのに、徐々にモチベーションの差が浮き彫りになり、埋まらぬ溝へと形を変えて来ていた。
CD制作予定だった3月、一向に話が進んでないどころか、話し合いの場すら持てない程だった。
最初はこのメンバーで少しでも長くやれるようにと、バンドの延命を望んでいた僕だったが、気持ちが一つに成れずに鳴らした音楽じゃ、到底、いいものなんて出来る訳もないのを肌で感じてしまった僕は、自分の作った曲達が、このままだと活きないし、僕も生きた心地がしなかった。
皆の状況や心境が揃うのを待っていたが、このままだと、何年経ってもいいものなんて出来ないと思い、一人一人と向き合って話をした。
いいものが出来たからやりたいと思うのは、何か違うなと思った。
この先、やり続けるとしたら、上手くいかない事の方が多いだろう。そんな中でもやりたいと思えなければ、同じ事の繰り返しだ。
僕は、どんな最悪な状況下でも、やる気は失せなかったし、皆が同じ気持ちになれないなら、やらない方がいいとゆう覚悟を決めて話に臨んだ。
とおるーとは、何かある毎に二人で話をしていたが、ゆうまーとまーこーそれぞれと、ちゃんと二人きりで話すのは、長い付き合いの中で、多分、初めてだった。
ゆうまーは、足がなかった(勿論、移動手段の事ね)為、バンド練習やライブの時は、大体いつも車で一緒だったけど、曲のアレンジ以外のバンドの事は、二人だけでは話さなかった。不満や不安を言い合うと、いい影響なんてないのを感じてたから、そんな時は、暗黙の了解で沈黙だったし、何より大事な話はメンバー全員の前で話したかったし。
始めに、ゆうまーと話した。本気でやれない位なら、やめたいとゆう気持ちは一緒だった。
思うように活動出来ていなかった期間、僕はひたすら曲を作っていた。
気付けば、音楽人生最速ペースで、約半年で6曲を産み落とした。
正直、このまま活動出来ずに終わって行くんじゃないかとゆう恐れもあったし、いつ終わったとしても、少しでも後悔しないように、言い残した事がないように、伝えそびれた事がないように、死にに行くような覚悟で、遺書を書くように、命を削る思いで、悶絶しながら歌詞を絞り出していた。
僕は、音楽に救われた人間だ。音楽と出会っていなければ、今の自分はいないと断言出来るし、人生の岐路において、いつでも音楽に背中を押されて進んで来た。
他人から見たら、落ちぶれて見えるかもしれないけど、僕は最高の日々を過ごして来たんだ。
音楽に感謝してるし、音楽に恩返しがしたい。
僕を救ってくれたり、背中を押してくれたように、僕も誰かを救ったり、背中を押してあげたかった。
僕が歌詞を書き、歌を歌う理由の根底にあるのは、それ以外の何物でもない。
そんな状況下で、僕が背中を押したい相手。それは、他ならぬメンバーだった。少しでもメンバーのモチベーションが上がるようにと、先ずは、メンバーの背中を押してあげたかったし、気持ちを一つにしたかった。
とおるーには、とおるーから脱退したい相談があったあとに、「日々の中に」と「あるがまま」とゆう曲を書いた。
他の二人に向けて書いたのは初めてで、まーこーには「GOES ON LIFE」、ゆうまーには「ブルートレイン」とゆう曲を書いた。
それぞれに宛てて書いた事は、解散後にしか伝えなかったけど、その曲のお陰で、ゆうまーは、勇気付けられたみたいだし、最近の僕の曲達を物凄く気に入ってくれて、僕が曲を作り続けていたから、バンドを抜けずにいられたと言ってくれた。
まーこーへの曲は、バンド史上最長の8分近くの超大作のパワーバラードで、テーマも人生と命の事を歌っているので、「熱い・重い・長い」の三拍子揃っていて、聴く側にもかなりエネルギーの要る曲だ。
まーこーは、心境的に重過ぎてまともに聴けないと言っていたが、色んな事とちゃんと向き合えた時に、いつか伝わると信じている。
ゆうまーは、本当に人が変わったような言動になってきていた。
本人にも直接言ったが、正直僕は、彼の人間性と音楽性が、余り好きじゃなかった。
とおるー脱退の話があった頃から、変わり始めたのを感じた。
人当たりがよくなったし、人の話に聞く耳を持つようになった。
曲作りに関しては、バンドの方向性で、僕が作る曲でやっていこうとなった時、最初は嫌だったし、自分が作った曲が出来ない位なら、バンドやりたくないとまで思ったらしいが、ここ最近僕が作った曲を聴いて、むしろ、それだけでやった方がいいとまで思えるようになったみたいだ。
僕と親交のある方は分かると思うが(まぁ、こんな堅苦しく長たらしい文面からも手に取れると思うが)、僕は、熱く重くストレートなクソ野郎だ。
昔は、そんな僕が作る曲の良さが余り分からなかったが、偏っていると思う僕の曲が、今ならいいと思えると言ってくれた。
曲との出会いは、タイミングが大事。
気持ち悪い事に(笑)、今は、僕の為にバンドを続けているとまで言っていた。
僕も、最近の彼の、楽曲を活かそうとする姿勢が好きになっていた。
ゆうまーとは、今頃になって、やっと解り合えたけど、時、既に遅し。
まーこーのモチベーションは、元には戻らなかった。
ある程度、覚悟はしていたし、どうゆう結果になろうと、それを全て受け入れるつもりでいた。
それなのに、一人になり、気持ちを落ち着かせ、先ずは彼女に報告。
もうとっくに枯れたはずの涙が溢れていた。
「ごめん」とゆう、申し訳なさと悔しさばかりが込み上げる。
10年とゆう余りに長過ぎた年月が、空しさに拍車をかける。
心にポッカリ空いた穴には、一体何が残ったのだろう。
このバンドを終わらせたのは、他でもない僕だ。
だけど、このまま放っておいても、自然消滅か、いつまでも活動出来ずにいたと思う。
ベストな選択かは解らないが、話し合った結果の、今出来るベターな選択。
やる気に満ち溢れていた僕は、不完全燃焼。
どうせなら、燃え尽きてから諦めたかった。
誰のせいでもないし、誰かのせいと言うならば、それは皆のせいだ。
バンドは、皆で一つの生命体で、運命共同体。
誰か一人のモチベーションは、皆のモチベーション。
ダラダラと書き過ぎたが、僕等は一つになれなかった。
ただ、それだけの事である。
これまでの事を伏せていたのは、変な期待も心配もさせたくなかったからですが、このような結果で、期待を裏切る形になり、申し訳ないです。
こんな僕等を、これまで支え、応援して下さった方々、ありがとうございます。
そして、まーこー、ゆうまー、とおるー、今までありがとう。
皆が、それぞれの人生とちゃんと向き合って、生きて行けるように、祈っています。
大原順は、一人で歌って生きます。